”咬む喜び、咬む幸せ”熊本市にて、高齢者に優しい歯科医療をめざす「元島歯科クリニック」

八月四日、五日は公私共お忙しいところ、また歴史的な酷暑の中、故人元島博信のためにご弔問、ご会葬いただきまして、誠にありがとうございました。
 また、多くの皆様にお悔やみや励ましのお言葉を賜りましたことを厚く御礼申し上げます。

 父が亡くなった時の経緯を申し上げます。

 昨年3月に心筋梗塞を起こしました。冠動脈ステント手術を行い、その時はゴルフができるまで回復して、元気に過ごしておりました。
 ですが、今年、1月末に体調不良から内科を受診したところ、悪性リンパ腫が判明しました。日赤ですぐに治療を開始し、入退院を繰り返しながら治療を続けておりましたが、5月末、脳への転移が認められ、それから多種多様の症状が生じるようになりました。症状が強くなってきてからは、本人の希望から7月より熊本第一病院に転院し、緩和ケアに移行しました。
 緩和ケアに移行してからも、ほんの二週間前の7月15日には姉や双子の孫と一泊旅行に行くなど元気もありましたが、中枢神経麻痺により嚥下機能が低下し、食事が喉を通らなくなってからは、命が消えていくように急に元気が無くなっていき、8月2日木曜日、午後11時21分、力尽きて息を引き取りました。


 父は熊本県八代郡野津川原に、三百年続く医家の次男坊として生まれました。終戦後の苦しい時期を、戦時中軍医を務めた祖父に厳しく育てられ、九州歯科大学を入学、卒業後、九州大学歯学部口腔外科と矯正科の助手、医局長を経て、熊本市の中心部に開業し、臨床家として第一級の方々と共に学び、歯科の道に邁進してまいりました。
 父が尊敬する素晴らしい先生方と共著させていただいた「家庭の歯学」は発刊26年たった今も売れ続けている歯科界のベストセラーです。
 父は、昨年、理事長交代するまで学会や勉強会に参加して生涯勉強を続ける現役の歯科医師でした。また、理事長職を退いてからも、父のファンの患者さんから「大先生に診てもらえて幸せでした」「大先生はお元気ですか?」と慕われ続ける地域に根ざした臨床家でもありました。


 最後に、長男である私、道信との関わりを述べさせていただきます。
 父には本当に苦労をかけました。
 歯学部に合格するまで4年間浪人した私は、やっと入ったと思ったら、休学して中国に行くと行って、一年間北京に留学したり、その後も在学中に韓国に長期滞在したり、ひょっとしてコイツは歯科医師にならないんじゃないか、と思われていたフシがあります。
 その後、歯科医師になってからも、紆余曲折しておりましたが、最終的に後を継ぐために父の元に勤務するようになりました。
 若い頃から負けん気の強い父は、クリニックでも気が強く、診療方針や経営方針などで、どこもそうかもしれませんが、息子である私といろんな衝突をしました。
 ですが、衝突をしながらも父は以前共に学んだ河原英雄先生や下川公一先生をはじめとする歯科の第一級の先生方との道筋をつけてくださり、私に最高の歯科医療を学ぶ環境を与えてくれました。
 また六年前、ロシアの格闘技を学ぶために3ヶ月仕事を休んで留学した時に、長期で行くか迷っていたのですが、父が「どうせいくなら、どんと3ヶ月行ってこい!」と、留学を後押ししてくれました。
 私が他の人と違うことをする時は、口では文句を言いながらもむしろ喜んでいるようでした。
 父は援助と叱責という両極端な面を私に見せてくれましたが、今思うと父は、私を息子として援助すると同時に、歯科のライバルとして見てくれていたのではないかと感じます。
 今こうして幼少の頃から今までを振り返ると、とてもとても愛されていたのだと気づきます。

 思えば、他の人にできないいろんな経験をさせていただきました。
 私のキャリア、人とのご縁、それによる私の考え方、経済的恩恵は全て父のおかげです。父がいなければ、今の私はありません。
 私の肉体と精神は父の贈り物によってできております。
 亡くなった翌朝、斎場で2人きりで父と過ごす時間があったのですが、その時自分の中に父を感じることができました。

これからは心の中の父と二人三脚で共に歯科の道を歩んでいきたいと思っております。
 皆様のご弔問、ご会葬、誠にありがとうございました。

平成三十年八月五日
前理事長 元島博信長男 元島道信